公共性とは?(投稿)

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ゴーログさんで当blogを取り上げてもらって「質問に答えてやってよ」と後押ししてもらったようで、うれしいです。常日頃「なんで?」と思うことをブログに書いて、どなたかから反応をいただけるって、素晴らしいですね。そこで、フジテレビと堀江社長の件に関して、もう一つ質問させてください。フジテレビ・ニッポン放送のの言う放送の「公共性」ってなんですか?

フジテレビと、ライブドア側は双方、自分達が経営に関与したほうがニッポン放送の企業価値が上がる、と主張しています。その主張で、フジテレビ・ニッポン放送側は、「ニッポン放送がライブドアの傘下に入ると、公共性が失われて企業価値が下がる。」と言ってます。またフジテレビの日枝会長はインタビューで「われわれは長い間かかって公共性を作ってきた。ちょっとやそっとで作れるものではない。」と言ってました。一体「公共性」を、どういう意味で使っているのかが分からないのです。私なりに考えてみました。

  • 「公共性」を、例えば「公共の乗り物」とか、「公共広場」のように、誰でも利用できる、という意味で使っている場合

テレビの放送は誰でも視聴できます。同様にインターネットの情報・放送もだれでも入手できます。ですから、どちらも会社の事業も、今の段階でこの意味での「公共性」は既にあります。この意味で「ライブドアがニッポン放送を経営すると公共性がなくなる」というのは、放送を、特定の人しか利用できない、という意味になりますよね。とてもそうは思えません。

  • 「公共性」を、「情報を公平に、偏りなく、公正な立場で伝える」という意味で使っている場合

ひょっとして、堀江社長の「人気のある情報だけ流せばいいんだ」というような発言を受けて、公平な放送でなくなる、と主張しているのでしょうか。だけど、ライブドアがニッポン放送を経営した場合、偏った情報を流す、という根拠はどこにあるのでしょうか。やっぱり、「若造に何が分かる」的な見方なのでしょうか?それに、フジテレビや、他のメディアについても、全く偏りはないとはいえないですし、現に、堀江社長をテレビ番組から降板させた事自体、偏りの表れではないでしょうか。堂々と、自社の番組で堀江社長の主張を流してこそ、公平な放送なのではないでしょうか。

という訳で、私の考えつく「公共性」って二つくらいなのですが、「どちらも、ニッポン放送がライブドアの傘下に入ると公共性がなくなる」という意味にはならないのです。皆さんは、どうお考えでしょうか?

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