「植田実の編集現場 建築を伝えるということ」出版記念トークショー

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ここのところ、携帯のエントリばかりになってしまってます。建築やデザインについて考える訓練になれば、というのもブログを始めた理由の一つですが、エネルギーがいるので、なかなかエントリにまとまりません。今日は久しぶりに建築の話題を。「植田実の編集現場 建築を伝えるということ」出版記念トークショーに行ってきました。植田実さんと、執筆した花田佳明さんの講演です。

植田実さんは、とくに建築関係の出版で有名な編集者です。有名な建築関係の編集者の中では異色の、仏文科出身。建築学科出身ではないことが、逆に氏が面白い仕事をすることにつながった面もあると、花田さんは分析されます。大学卒業と同時に雑誌「建築」の立ち上げに携わることになり、実務を通して、編集という仕事を学び、最先端の建築家との作業の中で、建築に関する広範な知識を得られ、後に、建築雑誌の革命と花田さんも書かれている、同時代の建築家に多大な影響を与え、教育する役割も果たした「都市住宅」の編集長として、意欲的な仕事をされます。

「都市住宅」は創刊が1968年5月(私の生まれる一ヶ月前なのですね)、植田実さんが関わられたのは、創刊から100冊ほどだそうです。「都市住宅」がどれほど、建築界や出版業界に影響を与えたかは、本に詳しく記されています。その他多数の出版・編集活動を評価して、2003年「日本建築学会賞文化賞」が授与されました。この本は、それを記念して、豪華なパーティを催す代わりに、寄付金を募って出版されました。「都市住宅」を知らない、若い世代の建築家・学生が増えている中で、引き継ぐべき重要な知的財産を、広く伝えていこう、という目的もあるそうです。

端折っても説明が長くなりましたが、ここからはトークショーについて。ほとんどが本の紹介になってしまって、当初予定されていた、関西における建築の出版について等、討論する時間がなくなってしまったのが残念でしたが、幾つか気になる話題がありました。

植田実さんは「建築家はメディアで建築を作るのも大事な仕事だ。」「建築をメディアに残さなければならない。」「編集次第で建築は変る。コルビュジェ全集も本人による編集で、メディア上の建築を作った。」と言われました。編集者だから、メディアありきの話になり、そこから議論が始まるのでしょう。しかし、実務をしている側から見ると、「メディアに残さなければならない」という根拠をじっくり聞きたかった。「編集次第で建築は変る」について、まさにその通り、編集で実物とかなりかけ離れた建築を雑誌で見ることの違和感を常日頃感じ、その編集の意味と実際の建築のあり方、作られ方との関係など、疑問に感じているので、どのように捉えられているのか、知りたかった。雑誌で取り上げられる建築が、本当に取り上げられる価値のあるものなのか、というのはよく交わされる議論です。編集者は本当に建築のこと分かっていないのでは、とか、コネで載るんでしょ、とか、やっかみとも取られる声も聞きます。メディアということで言うと、色々なテレビや雑誌で取り上げられている建築でも、ちょっとどうかな、と思うものが多々あります。また、最近の、建築専門雑誌ではない情報誌のような雑誌での取り上げ方と、「都市住宅」での取り上げ方の違いも大きいと思います。メディアと建築の関係は、それだけでも論文になりそうなくらい、多くの議論すべき内容が含まれていると思います。編集をされている方の、建築の捉え方をもっと掘り下げて聞きたいと思いました。

「関西の建築家はラディカルだった。これからもラディカルさを持ってほしい」というようなことも言われていました。ラディカルな建築とは、具体的にはどういうことを指すのでしょう。どういう建築がラディカルと捉えられているのか、例えば今活躍している建築家の中では、どういう人がラディカルなのでしょう。ラディカルな建築を作る場合、やはり、何らかの問題提起に対しての解答の一つとして、ラディカルな手法を選ぶのだと思うのですけど、ラディカルである事は、都市や人々にとって素晴らしい空間を作ることになるのでしょうか、それとも、そんなことは無視して、とにかく今までと違う、新しい概念を持った建築を作れ、ということなのでしょうか。私の疑問はつきません。具体的に詳しく話をきかないと、議論ができないので、聞いてみたい。

一方で、ラディカルな建築とか、最先端の建築を作ろうとする建築家がいて、その一方で、ラディカルとは無縁の、とにかく必要な部屋を作りました、というような建売住宅や事務所ビルなどが、ほとんどの空間を覆いつくす。私は、日本の都市空間を良くする為には、後者の、ほとんどの空間を覆いつくしている、コンセプトもコンテキストも関係なく作られている建築を変えていく必要があると思うのです。そういう後者の建築のことは、編集者はどう考えているのでしょう?「都市」として大きく捉える特集などは作られるのでしょうが、どうも「その他大勢」的に扱われ、置き去りにされている気がします。

「関西には建築関係でも面白いミニコミ雑誌があるが、なぜ、もっと大々的に出版したりしないのか。もっとそのパワーを生かして」というような討論をしたかったそうです。私の感じていることを書きますと、大阪の人が、東京と変に張り合っているのと同じように「有名雑誌なんかにのるような建築は、大した物はない、別に載りたくない。」という、載りたいことへの裏返しのような感情があって、だけど、言いたい事はいっぱいあるから、同人誌的な雑誌を出して、批評する。かといってそれを全国的に出版したいかというと、やっぱり中央に対する引け目や、照れがあって、なかなかできない、というような事ではないか、と思うのですがどうでしょう。

今回のトークショーは頭のいいお二人の話が聞けて面白かったです。神戸芸工大の学生は、幸せだと思います。花田さんをはじめ、優秀な先生がいて、最先端に触れられる。私のいた大学は、優秀な人はたくさんいましたが、もっと保守的な感じで、技術面をしっかり研究する研究室が多かったように思います。今は変っているのかもしれませんが、私のいた頃は最先端とは距離がある、独特の雰囲気があったように思いました。

出席者は、ほとんどが学生らしき人で、その他は有名建築家・編集者・鈴木成文先生とびっくりするような方が少数。以前の塚本さんの講演会もほとんどが学生さんだったのですが、私たちのような、実務をやっている年代の人が少ないのはどうしてでしょう?2時間と空けれないほど忙しいのでしょうか?最近はどこの事務所も仕事が減っているはずですし・・・。これが東京だともっと人が多いのでしょうか。この辺りも、関西の建築家の気質を探るヒントなのかもしれません。

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コメント(3)

foliageさん、こばんは。
私、Lifeblogの件、断念(やりっぱなし)しました。 (^^;)

>ラディカルである事は、都市や人々にとって素晴らしい空間を作ることになるのでしょうか、それとも、そんなことは無視して、とにかく今までと違う、新しい概念を持った建築を作れ、ということなのでしょうか。私の疑問はつきません。

素人の私がいうのも何ですが、コンセプト建築より、人の生活と一体化した生きた建築物こそ大事な気がします。そして、そんな建築物に、安らぎと美しさを感じ、住んでみたいと思います。

また、実際に話を聞いて疑問が解けたら、エントリーしてください。楽しみにしています。

akiraさん、こんにちは!このエントリにコメント書いていただける人がいると思っていなかったので、うれしいです。こんな文章、読む人いないだろうな、と思いつつ、頭を整理するために書いていました。
疑問は、植田さんの考えは、もし聞くことができれば解けるかもしれませんが、自分がどう考えるかは、きっと、この先仕事をしていく上で、ずっと自問し続けることになると思います。
私は、大前提としてはakiraさんが書かれた、「そんな建築物に、安らぎと美しさを感じ、住んでみたいと思います。」という気持ちを持てる建築をつくりたいのですが、具体的に、どういう手法で、という部分に建築をやっている人それぞれの考えがあって、日々自問しながら修行(?)していかないといけないな、と思います。
Lifeblogの件、気にかけて下さってたのですね。ありがとうございます。パケット代がかかるので、私も結局あまり活用できていません。。。

はじめまして
突然のコメント失礼いたします。
"いい感じ"の"foliage様"のコメントを拝見させて頂きここにやってきました。

私も"Lifeblog"の件にてVer1.55の入手をしたく思っています。もしお持ちでしたら頂戴することは可能でしょうか?
誠に突然で不躾ですがよろしくお願いいたします。

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